神戸地方裁判所 平成8年(ワ)1699号 判決 1998年6月25日
原告
森口敏子
被告
神戸自動車交通株式会社
主文
一 被告は、原告に対し、金三〇三万二九〇七円及びうち金二七三万二九〇七円に対する平成七年六月二五日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告は原告に対し、金四八三万七四三〇円及びうち金四五三万七四三〇円に対する平成七年六月二五日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 原告は、普通乗用自動車を運転中に、被告所有の普通乗用自動車に追突されて負傷したとして、自動車損害賠償保障法三条に基づき、その負傷による損害の賠償を求める。
二 前提となる事実(争いがない。)
1 次の交通事故(本件事故)が発生した。
(一) 日時 平成七年六月二五日午後七時一〇分ころ
(二) 場所 神戸市須磨区須磨浦通四丁目八番五号地先国道二号線上
(三) 態様 原告が普通乗用自動車を運転して、国道二号線を東進して右場所の交差点にさしかかり、左折を開始したが、前方が渋滞しており、停止していたところ、原告車の後部に、被告の従業員たる溝原博次が運転する被告車(営業用普通乗用自動車、神戸五五え八三八九)が衝突(追突)した。
2 責任原因
被告は、被告車を所有し、自己の営業(タクシー営業)のため、運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により、原告が本件事故により負傷したことによる損害を賠償する責任がある。
三 争点
1 原告の負傷の程度
2 損害の額
四 当事者の主張
1 原告
(一) 負傷の程度
原告は、本件事故により、外傷性頸部症候群、腰部捻挫、頸椎捻挫等の傷害を受け、頭痛、頸部痛、嘔気、右手及び左頸から上肢にかけての疼痛、腰部圧痛があり、平成八年八月二四日まで、通院、入院して治療に努めた(一年二か月間のうち、入院が二〇日、通院実日数が三〇六日)。
(二) 損害
(1) 治療費 金一八万六四三〇円
平成七年九月一二日以降の分(それ以前の分については自賠責保険から支払がなされた。)で、社会保険の利用による自己負担分。
(2) 入院雑費 金二万八〇〇〇円
一日一四〇〇円の割合による二〇日分
(3) 逸失利益(休業損害) 金二七二万三〇〇〇円
ア 原告(昭和二〇年五月三〇日生)は事故当時専業主婦であったので、平成六年度の賃金センサス第一巻第一表の女子労働者・産業計・企業規模計・学歴計の年齢別平均賃金による五〇歳の賃金年三四四万〇八〇〇円を用いる。
イ 平成七年六月二四日から同年一一月末日までの五か月間は体調が悪く、家事労働が殆どできず、姉に手伝って貰った。その間の損害は、一四三万三〇〇〇円となる。
3,440,800×5/12=1,433,666
ウ 平成七年一二月一日から平成八年八月三一日まで九か月間の休業損害は、喪失率五〇パーセントとして、一二九万〇〇〇〇円である。
3,440,800×9/12×0.5=1,290,300
(4) 慰謝料 一六〇万円
入院期間二〇日、通院期間約一三か月(実通院日数三〇六日)に対する相当額
(5) 弁護士費用 金三〇万円
2 被告
(一) 本件事故における被告車の衝突速度は時速二、三キロメートルに近く、その衝突によって原告車両が押し出された速度は時速一・五キロメートルに近く、原告の受けた加速度は最大でも〇・七G以下と推定される。
(二) この程度の衝撃は日常生活でもしばしば起こりうるもので、原告主張の如き外傷性頸部症候群・腰部捻挫等は発生しないか、少なくとも原告主張の如き長期間に渡る治療を要する傷害は発生しない。
(三) 原告の新須磨病院での入院は極めて不自然であり、この入院を含めて、原告が受けた治療は本件事故による症状のみでないことは、その診断病名(水頭症、アーノルドチアリ症候群や、その他急性胃腸炎、脱水症、下痢、腎盂炎、経年性頸椎症などの一般疾病)や治療内容から明らかである。これらの一般疾病の存在からすると、どの病気で頭痛や頸部痛、下肢痛等が発生しているのか不明である。
(四) しからずとするも、原告の治療として法律上相当な期間はせいぜい新須磨病院における検査期間の一、二週間程度である。医学上相当な期間を越えるむちうち損傷の治療については、大半は被害者本人の素因によるものか、医源性のものであるから、過失相殺の法理を類推適用して、相当部分を減額すべきである。
(五) 原告の収入の証明はない。何の主張立証もなく、いきなり賃金センサスに依るのは相当ではない。電化製品を利用しての家事程度は可能であったはずである。
第三争点に対する判断
一 原告の負傷の程度と因果関係
1 証拠(甲二の1ないし6、六、七の1、2、九の1ないし14、乙一の1ないし3、二の1、2、六の1ないし4、七、一一、証人中村治正の証言、原告本人尋問の結果)によると、次の事実が認められる。
(一) 本件事故直後、停止している原告運転車に近づいた被告の従業員溝原は、「バンパーはどないもなってないで。こんなコッツン何ぼでもあることじゃ。」と言い残して、氏名も答えず、被告会社の名を告げただけで現場を立ち去った。原告は被告車のナンバーを控えた。
(二) 原告は現場から帰宅する途中から、首が痛み始め、頭痛、吐き気、背部の痛みが出て、夕食も採れず床についた。夫が原告の様子を見て、被告に電話して、運転者の名などを確かめた。翌日は日曜日で、原告は一日寝ていた。
(三) 翌々日の二六日の月曜日、原告は、被告に告げたうえで、大澤病院に赴いて診察を受けた。頭痛、頸部痛、嘔気、右第四、五指のしびれ感を訴えていた。CT検査によると、頭蓋内の出血などはなかったが、頸椎に生理的前湾の消失が認められた。頸部カラーを装用し、湿布と投薬で、保存的加療を開始した。ただ、同病院にはその翌日にも通院したのみで、六月三〇日から新須磨病院に通院するようになった。
(四) 新須磨病院では、レントゲン写真上は頸部には異常はなく、神経外科的検査も異常はなかったが、頸部の運動時痛、圧痛を訴えた。頸部カラーを着用し、消炎鎮痛剤を投与して、経過を観察した。ところが七月三日、嘔吐の主訴が強く、脳外科に入院し、同月二二日に退院した。退院後ホットパック、低周波などの物療を行う予定であったが、原告は同月二四日まで通院したのみであった。
(五) 原告は、七月二五日に高熱が出たことから、なかむらクリニックを受診した。本件事故のことも告げており、頭痛嘔気も訴えていたが、腎盂炎、急性胃腸炎、座骨神経痛、脱水症、胃潰瘍と診断され、抗生物質の投与、点滴治療、内服薬の投与等を受けた。その結果、尿や血液検査の所見は正常化し、熱も下がったが、頭痛や首の痛みの訴えは続いたので、八月二日から、頸部痛は本件事故による頸椎捻挫によるものとして、同クリニックで、治療が続けられた。両手指のしびれ感や腕の痛みも訴えていた。投薬と理学療法を受けていた。新須磨病院からは、八月一五日付けで、なかむらクリニック宛の紹介状(診療情報提供書)が交付された。
(六) 同クリニックでは、本件事故による頸椎捻挫については、九月一一日まで通院し、翌一二日付けで、同月末で治癒見込みとの診断書が発行された。もっとも、この診断は、自賠責から、治療費補填を打ち切るとの通告があったためで、原告は他覚的所見は乏しいものの、依然として頸部痛、頭痛、手指のしびれ感を訴えて同クリニックに通院し、同クリニックでは、九月二五日から頸肩腕症候群との診断名の下、治療費は社会保険の利用と一部自己負担として、治療を続けてきた。本訴提起後の平成九年九月現在においても原告は通院を続けている。
(七) なお、原告は、六月三〇日、新須磨病院での初診時のCT検査で、脳室の拡大傾向があるとして、水頭症(中脳水道狭窄症)が指摘された。ただし、その原因として疑われた、アーノルドチアリ症候群(小脳が脊椎管内に陥入した異常で、項頸部から肩、上肢にかけての疼痛で発症することが多い。乙一〇)も、脊髄空洞症(脊髄の中心部に空洞を形成する疾患で上肢、肩、頸、後頭部、背部のしびれ感や疼痛で発症する。乙九)も、入院中の七月六日ないし一〇日に受けた検査で、否定された。なかむらクリニックに通院するようになってのちにも、新須磨病院において、指示されたとおりの半年後に検査を受けたが、著変なしとされている。また、新須磨病院からなかむらクリニックへの紹介状(診療情報提供書)にも、これらの症状ないし疑いについては何も触れられていない。原告自身、水頭症に原因する症状が出たことはなかったと認識している。
ただ、水頭症は頭の中の髄液が過剰に貯留する循環異常で、吐き気や頭痛、あるいは肩、頸部、後頭部のしびれ感や疼痛が出やすいとされる(乙八、中村証言)。
(八) また、原告は、事故前年の平成六年、左下肢痛があることから、八月に、神戸大学病院で、腰椎椎間板ヘルニアと診断されていた。(乙六の1。その際のMRI検査を新須磨病院が担当した。)
(九) 本件事故で、原告の運転していた普通乗用車は、後部バンパーフェースが僅かに窪んだ程度であった。修理はこれを取り替えただけであり、バンパーの剛性を支えるバンパーリーンホースメントは交換されていない。被告車も殆ど傷は生じておらず、追突による衝撃はさほど大きくなかった。ただ、事故は変形三差路で起きたもので、原告は、右折するため停止していて、後方からの被告車の接近には気づかず、全く予期しないまま、追突の衝撃を受けた。
2 以上に認定した事実によると、次のとおり判断できる。
(一) 原告は本件事故の衝撃で、頸部捻挫の傷害を負った。生理的前湾の消失がある点で、客観的な所見もある、と言える。
被告は、いわゆるむち打ち損傷の発生機転となる頸部の過伸展・過屈曲は、時速一六キロメートル以内の追突によっては生じないなどとして、原告には、頸椎捻挫が発生したとは考えられない、と主張する。しかし、そもそもその主張する数値が医学的に承認された知見と言えるかは疑問がある。その挙げる資料は、個々の事例を分析しての、工学的分析と医学的分析からの判断と解されるが、本件に適応するものかは不明確であるし、被告車の衝突時の速度が最大で時速八キロメートルである旨の鑑定書(乙一一)もあるが、原告車の損傷状態からの推定であって、衝突実験結果との対比が適切であるかは必ずしも明らかではなく、これらの資料のみでは、原告の症状が、本件事故によって発生したものではないと断定するに足りるものではない。しかも、頸部捻挫と言われる症状は、必ずしも身体的原因によって起きるばかりでなく、外傷を受けたという体験によって様々な神経症状を示すものであって、事故の責任が他人にあって損害賠償を請求する権利があるときは、加害者に対する不満等が原因となって症状を益々複雑にし、治癒を遷延させる例も多い。原告の症状の長期化、深刻化には、器質的素因が寄与していることは否定できないとしても、だからといって、すべて本件事故と相当因果関係を欠くものとは言えない。
(二) 前記認定のとおり、本件事故が、原告が予期しないで、後方からの衝撃を受けたとはいえ、バンパーフェースに僅かな凹みを生じた程度で、衝撃が大きくなかったこと、原告は、前年に診察を受けていた腰部のヘルニアがあったことが示すとおり、脊椎には、経年性の変化が生じており、また、髄液循環が不良となる素因も有していて頸椎痛等を生む一因となったと解されること、そして、治療を受けた症状の中には、事故とは関係がない消化器系の病変に原因すると解される症状もあること、など、前記認定の事実からすると、本件事故と相当因果関係があるものとして被告が賠償責任を負担すべきは、原告が各医療機関で訴えていた症状及びこれに対する治療のうち、
(1) 自賠責において治療費を負担した、事故当日からおよそ三か月を経過する九月一一日までは、八〇パーセント。なお、初期における新須磨病院への入院は、頸椎捻挫においてしばしば見られる嘔吐を主訴とする症状があったことから行われ、点滴や検査も目的にしたものと解され、相当因果関係のある措置と言える。
(2) 九月一二日からおよそ三か月の同年末までは、六〇パーセント。
(3) 翌平成八年一月から三月末までは四〇パーセント。
(4) その後は、相当因果関係がない。
と見るのが相当である。
二 損害額
1 逸失利益(休業損害)
(一) 原告本人尋問の結果によると、原告は専業主婦であったが、事故のあった平成七年六月二六日から同年一一月末までは家事も果たすことができず、姉に助けて貰ったことが認められる。
無職の専業主婦であっても、家事を果たせないことに対しては、身近な家族らの労働等によって、その労働が代償されているに過ぎないから、主婦にも女子の一般賃金程度の損害は発生したものと解するのが相当である。
平成六年度の賃金センサスによると、女子労働者の産業計、企業規模計、学歴計の年齢別平均賃金による、五〇歳の賃金は年間三四四万〇八〇〇円、一日当たり九四二七円である(円未満四捨五入)。
(二) そうすると、休業損害は次のとおり合計一五五万五四五五円となる。
(1) 平成七年六月二六日から同年九月一一日まで。
9,427×78×0.8=588,245
(2) 同年九月一二日から同年末まで。
9,427×111×0.6=627,838
(3) 平成八年一月一日から同年三月末日まで。
9,427×90×0.4=339,372
(4) その後については、因果関係が認められない。
2 入院雑費
一日一四〇〇円として、実日数二〇日で二万八〇〇〇円となり、その八〇パーセントは二万二四〇〇円となる。
3 治療費
平成七年九月一二日以降、社会保険で治療を受けており、自己負担分は、薬局支払分を含めて、<1>同年末までは五万九〇八〇円であったから(甲四の1ないし94)、その六〇パーセントは三万五四四八円となり、<2>また翌年一月一日以降三月末までは四万九〇一〇円であるから(甲4の99ないし79)、その四〇パーセントは一万九六〇四円となり、合計五万五〇五二円が損害と認められる。
それ以降の治療費については相当因果関係が認められないことは前記のとおりである。
4 慰謝料
前記認定のとおりの、事故の態様、被告の対応、入通院治療の状況、原告の体質的素因等の寄与などの諸般の事情を総合すると、一一〇万円をもって相当とする。
5 弁護士費用
以上認定の、原告の求めうる損害賠償額は合計二七三万二九〇七円であるから、本件事故と因果関係のある弁護士費用は、三〇万円をもって相当とする。
6 まとめ
よって、原告は、被告に対して、金三〇三万二九〇七円とうち金二七三万二九〇七円に対する平成七年六月二四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができることになる。
(裁判官 下司正明)